バランスのお話。

 お久しぶりです。アニメ観たり寝たり起きたりしているshokaです。
 今回はそういった作品の享受に際しまして感じる苛々、不快感、所謂“やだみ”についての考察のひとつをまとめて記事にしてみます。

 そもそも最近の私は専らアニメーション形態の作品を享受しているのだというお話をしましたが、テレビ番組として放映されるアニメは基本的に環境さえあればほぼ無コストで享受できるものであって、クールごとに様々な作品が、言ってしまえば勝手に空から降ってくるかのように提供され、それを視聴するか否かは自由に選択できます。それゆえに、他の作品形態に比べて様々な種類の作品に触れることができるというわけです。

 そのような作品の中には当然、前述したやだみを感じるようなものも多々あります。
 あえてそのような負の感慨を得るために金銭を消費しようとは普通思わないかもしれませんが、アニメだとそういうこともしやすいですね。
 私は最も価値の低いものは何の感慨も得られないようなものであって、やだみを感じる作品というのはそれだけで尊いものだという考えを持っており、好きなものと同じぐらいに嫌い……とまでは言いませんが、やだみを含んだものにも興味があります。

 前置きがかなり長くなってしまいましたが、そんなやだみの考察において浮かび上がってきた私にとって苛々する作品の傾向として見出したもの──今回は“バランス”のお話をしたいと思います。


 長いので追記で。
(続く──

──続き)


 さて、大まかに簡潔な説明を先に書いておきますと、私の言うバランスとは「報い/報われ」のバランスのことです。
 そのような類のバランスの取れていない状態が私にとってやだみの一因となるらしいことがわかった、というのが結論になりましょうか。

 では早速具体的な説明に入っていきましょう。

 まず、やだみについて考えてみようということで私にとってやだみを感じる作品のその具体的な要素を挙げてみます。
 ひとつには普段から散々申し上げているようにメガネの存在がありますがそれはもうどう考えてもそうなのでスルーです。ほかにも先日の記事にいたしました各種ラインの私的な設定を超えた表現や、ご都合主義展開、悪人が甘やかされるような展開などにもやだみを感じます。
 ではそれらの要素はどのように享受されてやだみを生産するのでしょう。

 詳細な過程は割愛しますが、多くの要素において私が考える理想的な状態から乖離しているということに気がつきました。
 例えば、ご都合主義な展開の具体例として何か重大な局面において登場人物の命と事態の打開が選択される場面で様々な葛藤を経ながらもなんとか命を犠牲にしてその場を凌いだ、というような展開を考えます。
 お察しのとおり、ご都合主義展開では当然のように例外的な事象がはたらいてその犠牲になったはずの登場人物が生きていました。めでたしめでたし。というようなことになるわけです。許せませんね。
 ではどうなればいいのかと言えばそれこそ当然のように死んだままであればいいんです。当然死んでいるはずのキャラクターを変に生き返らせようとするものだから“例外的な事象”のような気持ちの悪い歪みを抱えることになるのです。そんなにキャラクターを殺すのが嫌ならそういう展開を作らなければいい。私はそう思います。
 すなわち、理想的な状態からの乖離とはこの場合、当然死んでいるべき登場人物が何故か生きていたという歪みのことと理解できます。

 同じようなことはキャラクターの些細な行動にも及びます。
 例えば、あるキャラクターが常軌を逸した非常識な行動をとったとします。すると当然、そのキャラクターは不利益を被るのが一般的な社会における道理であると思われますが、そうはならない場合が創作物上には多々あります。
 ではどうなればいいのかと言えば、それ相応の扱いを受ければいいわけです。創作物上でのそういった過剰に赦されている構図には筋の通っていない、言うなれば歪みのようなものを感じます。そしてそれは直接やだみに変換されます。

 つまり私は、不当に赦されていると感じられるキャラクターがいるとそこに歪みを見出してしまい、やだみを受けることになるので、かくあるべきという扱い、すなわち“報い”を受けることでバランスをとり、その歪みが矯正されることを望む気持ちがはたらくらしいのです。

 そのようなロジックによれば、理想的にはすべてが似たような作品になってしまって何も面白くないということも考え至るかもしれませんが、そうではありません。
 私は歪みを目の敵にしているのではなくて、最終的に歪みが解消されることなく放置されることにやだみを感じているのです。加えて、そのような歪みを湛えまくったような作品は大好きです。不当な利益を得ているような存在が報いを受ける展開とかメシウマの極みではありませんか。


 さて、ちなみにこの考察()の最中、逆は?と考え至って生まれたのが“報われ”の方面へのバランスでした。
 かわいそうなキャラクターがその不幸に見合った幸せを手に入れる展開はやはり素晴らしいです。しかしこちらはそれほど積極的に適用される考え方ではないようです。何故ならば、私には公式の設定を基本的には尊重するという持論があるからであり、加えてそもそも創作物に端から不利益な存在がメインに据えられてそのまま放置されるようなものが少ないから、ということもあるようです。
 二次創作においては焦点の当てられていないようなそういった不遇な部分に着目し、報われ展開を持ち出すことで正のバランスをとるようなものも多くあるのではないかと考えています(実感は籠っていない雑魚)。

 そしてさらに、そんな作品が世に溢れているというのであれば、やだみに振り回されて窮屈なことになっていてかわいそうだと自分でも思ったのですが、思い返せば存外そうでもないと感じました。
 まあこれも当然のことなのでしょうが、私の作品に対する嗜好もそう機械的な正負の演算によって定められているわけではないということです。そこを少し考えてみたりもしました。するとどうやら個別で見ればやだみを禁じ得ないような要素を孕んだ作品でも、その部分を選択的に無視する、“流す”技術というものを無意識に使っているらしいです。それにつきましても、いずれまとめられるといいですね。


そんなこんなで今日の私は日本語が上手く使えなくてまとめられない悲しみに暮れます。

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shoka
大作戦企画部屋の一応管理人。
犬で眼鏡じゃない人。

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